2013-06-11 Tue

この本の解説の冒頭で、小坂部元秀は、「小山清の名前を記憶している読者がどのくらいあるだろうか。彼が歿したのは昭和40年であるが、小山清が失語症という作家にとって致命的な疾患によりその実質的な創作活動を停止したのは死よりさらに7年前の昭和33年秋のことだから、彼の名前が若い世代の読者からほとんど忘れ去られているのも致し方ないことかもしれない。」と書いています。この本が出た昭和50年当時すでに小山は幻の作家だったということです。
そこで、この本は、小山の全体像を何とか浮かび上がらせたいという考えで編集したとあります。
この本のなかに、「再び美穂によせて」というエッセーが入っています。小山は42歳で結婚し、43歳のときに長女が、45歳のときに長男が生まれています。このエッセーは、初めて子を持った父親の幸福な気持ちが素直に書かれています。
2013-06-11 Tue 19:46 | 古本
2013-06-06 Thu

内容は筑摩書房版と同じですが、底本は全集から取っています。
解説を堀江敏幸が書いていますが、その中で、
「小さな町」で彼がやろうとしているのは、単にうつくしい過去を振り返ることではなく、「ふつう」や「平凡」として片づけられているものに、ほんとうの力と光を当てようとする小声のマニフェストなのだ。
と書いています。
小山の人生は、「ふつう」とか「平凡」というものではありませんでした。幼少のころから屈託を抱え、一時はキリスト教に救いを求めたようですが、後に棄教しており、「ふつう」とか「平凡」に憧れに似た気持ちを持っていたのではないかと思います。
2013-06-06 Thu 19:25 | 古本
2013-06-05 Wed

これは第2小説集ということになります。表題作ほか9つの短編が収められています。
小山は、戦争中ですが、27歳のときに新聞屋で働いています。そして、30歳のときに太宰の自宅を訪れ、師事するようになり、終戦後37歳のときに、1年半ほど夕張の炭鉱で働いています。小山が夕張の炭鉱にいたときに、太宰は亡くなっています。
この小説集は、新聞屋で働いていたときと、夕張にいたときの話を集めたものです。
あとがきで、「どれもが倉卒に書かれたもので、私の気持ちを云ひ盡くしてゐない。」「いづれ、心の籠った、丁寧な仕事をして報いたいと思ってゐる。」と書いています。
ちなみに倉卒とは、あわただしくという意味です。
2013-06-05 Wed 19:06 | 古本
2013-06-04 Tue

小山は生前4つの小説集を出していますが、これは第1小説集になります。「落穗拾ひ」「聖アンデルセン」「朴歯の下駄」など代表作といえる7つの短編が収められています。
小山自身「これまでに書いてきたものは、みんな不満である。けれども愛着ということはこれまた別であろう。私はこの本の中にある作品のどれにも愛着を持っている。」と書いています。
「落穗拾ひ」という作品は、小山と思しき小説家の日常を書き綴ったものです。その中の一文を紹介します。
「僕は自分の越し方をかへりみて、好きだった人のことを言葉すくなに語らうと思ふ。そして僕の書いたものが、すこしでも僕といふものを代辯してくれるならば、それでいゝとしなければなるまい。」
2013-06-04 Tue 19:45 | 古本
2013-05-29 Wed

これは、清水が飯島、鮎川、正津、長谷川、北村、吉本、中桐、金、佐々木、吉増、吉原、荒川、田村の13人の詩人にインタビュ−したものをまとめたものです。この本を出した理由について、あとがきでこのように書いています。
「この当為のない時代において、詩もまた頽落の一途を辿っているかに見える。現に、きらりとひかる一篇の詩に出会うことは、まれになった。いったい詩人たちは何を現にかんがえているのだろう、といった疑問からこのインタビューをはじめた。」
はたして疑問は解けたのでしょうか。例えば田村隆一についてはこんなことを書いています。
「人間にとってもっともマイナスである感情にちかづくことによって、生を逆照してみせるほか、この近代の生の様相の複雑さを解くことができなくなっている。それをもっとも巧みに詩化した詩人が田村隆一ではなかったか。」
2013-05-29 Wed 22:32 | 古本
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