2011-11-25 Fri

「昭和という時代に、内容、形態の面で、今はあまり見かけない書物が刊行された。昭和期を過ごした人の多くは、本の恵みを感じ取っている。たとえ読まなくても、そのような本があると思うことで、前を見つめることができた。少し本を読んだ人でも、たくさんの本を並べることができる。そんな時代であると感じていた。昭和が終わるあたりから、読書の世界は変わった。」
しみじみと実感できる気がしますね。
そして「今読まれないもののなかに、実はいまという時代を照らしだすものがあるのだ。」というのもそのとおりのような気がしますね。
2011-11-25 Fri 18:00 | 新刊本
2011-10-26 Wed

「そんなに読んで、どうするの?」、「どれだけ読めば、気がすむの?」と言われている豊��氏です。実作者からも、また一般人からも、さらには書評家と呼ばれている人たちからもなかなか理解されていない書評というものについて、それが何であるかということを「ネタばらし問題」やプロの書評と感想文の違いとか、新聞書評の採点、あるいは書評の書き方を通じて、解き明かそうとした本です。
この本を読むと、世の中は、案外誤解に充ちているということがよく分かります。
2011-10-26 Wed 21:31 | 新刊本
2011-10-26 Wed

ゆっくり読むと題したエッセイの中に、「先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の1行が目にふれた。呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。この小説を読んだのは3回目である。」とあり、3度目にして初めてこの1行に気がついたとし、それまでは目には映っていたが印象をとどめなかった理由は、速く読んだからだと書いています。
そんなことは、今まで数え切れないくらい、いやひょっとしたら、ほとんど大事なところを読み飛ばしているかもしれないと反省させられます。本を読んでなにを得るかについては、勿論集中してゆっくり読むのも大事でしょうが、読む側の体調や知識さらには関心事やその時々の感情のあり方にも大きく左右される気がします。
それくらい本を読むことは難しいと考える今日この頃ですが、それは、何も読書に限らないことかもしれません。
2011-10-26 Wed 20:51 | 新刊本
2011-10-05 Wed

道の中央を歩くと、まぶしくて倒れそうになるから、いつも道の端の日陰を歩いていた天野忠、二十歳を前に「もう俺は、だめなんだ」と書き、その自分の言葉にとらわれ、悪あがきすることをよしとしなかった矢牧一宏、愚直に文学と酒を愛し、華やかな才能はなかったかもしれないが、それを補って余りある意志と情熱があった十返肇、酒に溺れて、ほとんど食事をとらず、自分自身の「とりあつかい方」を誤った石原吉郎、「労働と詩は両立するのか」と自問し、「私は根本のところでしないと考えている」と答えた辻征夫、縁側の椅子に座って、ラブミー牧場をながめながら、静かに息をひきとった深沢七郎、そういえば私はどちらかというと、仕事がさし迫ってくると怠けだす傾向があると言い放った梅崎春生など、一癖も二癖もある人たちについて、ローアングルによる観察者としての目で書かれています。
著者は、常に作品よりも作者の生き方、表現者の葛藤、ものを作るときの姿勢や心のあり方に興味があると言っております。それはおそらく、この「斜陽の時代をどう生きていけばいいのか」という問題について、ずっと真摯に考えてきたからと思われ、随所にその生真面目さが出ています。決して怠け者ではないのです。
2011-10-05 Wed 18:32 | 新刊本
2011-09-27 Tue

散文選とあるように、山田氏がこれまで書いてきたエッセイなどから、堀江敏幸氏が選んで1冊としたものです。昨年出た「マピヨン通りの店」(編集工房ノア)からも1篇とっています。
堀江氏も解説で書いていますが、山田稔は、固有名詞であると同時に、一つの文学ジャンルであるといえます。
出会いに手続が必要なように、別れにも手続が欠かせません。そんな視点から選ばれた各篇は、どれも美しく、切ない想いにさせられます。
2011-09-27 Tue 18:00 | 新刊本
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