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2013-12-02 Mon
安原喜弘 「中原中也の手紙」(講談社文芸文庫) 2010年4月9日刊
安原は、昭和3年の秋に、大岡昇平の紹介で、中原に会い、以後中原が亡くなるまで、唯一交際を続けていました。よく知られていているように、中原は、酒を飲んでは誰彼の見境なくからみ、彼の周囲の者たちと次々と喧嘩をし、友人達は彼の元から去っていきました。それはまったく痛ましい眺めであったと安原は書いています。
この本は、昭和5年5月から中原が亡くなる直前の昭和12年10月までの中原から安原に宛てて書かれた手紙100通と、それに対する安原のコメントで成り立っています。最初これは中原がなくなって3年後の昭和15年10月から、同人誌「文学草紙」に連載していたものですが、当時、「我々詩人の友人の間では、彼について触れることはある意味で一種のタブーの感があった。」と書いています。中原が詩人として評価されるようになったのは戦後になってからでした。
安原は「とにかく私にとって中原との交遊は、したがって中原との出会いは、決して楽しいものではなかった。思い出は辛く、心重い日々の連続である。この間に私はいつしか文学志向を捨て、筆を折った。」と書いています。
2013-12-02 Mon 17:39 | 古本
<長谷川郁夫 「藝文往来」 (平凡社) 2007年2月20日刊 | TOP | 徳岡孝夫 「五衰の人」 (文春文庫) 1999年11月10日刊>
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