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2013-07-01 Mon
吉田時善 「地の塩の人」 (新潮社) 昭和57年7月5日刊
江口しんいちの伝記です。江口は、昭和12年に大学を卒業後、小さな出版社の編集者を勤めたあと、戦争中は満州で新聞記者の傍ら詩作をしていました。戦後は、文芸誌の編集長をし、部下に、梅崎春生がいました。著者も、終戦直後江口の元で働いていました。
この江口という人は、ポケットの中に金があると酒場への誘惑に勝てず、月給やたまに入る詩や童話の原稿料も、きちんと家に入れたことがありませんでした。それでいて酒を飲んで妻に暴力を振るい、失神するほど殴りつけたり、樫の木の下駄で警官を殴りつけたりというような人物でした。
昭和22年の年末に会社を辞めフリーになるも、生活は悲惨そのものだったにもかかわらず、浮気までして、妻は自殺未遂をします。
昭和31年江口は「地の塩の箱」運動を始めます。これはなんとなく記憶があるのですが、一種の慈善運動で、お金に困った人は誰でも、箱の中のお金を受け取れるというものでした。
その後も相変わらず生活は悲惨で、妻は癌であることが分かるのですが、お金がないため満足な治療が受けられず、50歳で亡くなります。そして、末娘は自殺し、江口本人も運動が行き詰るなか昭和54年4月22日自殺後に発見されます。
著者が、ある人物が語った言葉として引用しているものです。
「文学というのは、向こう岸の見えない川を渡るようなもので、いいところで引っ返さなかった奴は、しだいに深みにはまって、二進も三進も行かなくなってしまう。」
でもその深みを見ないと文学にはならないんでしょうね。
2013-07-01 Mon 19:59 | 古本
<大野新「沙漠の椅子」 (編集工房ノア) 1977年6月15日刊 | TOP | 徳岡孝夫 「五衰の人」 (文春文庫) 1999年11月10日刊>
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