2012-05-29 Tue
杉山平一氏も、去る5月19日にお亡くなりになりました。この詩集は、昭和18年に出されたもので、平成19年に判型を小さくして復刻されたものです。
「町にて」から
ジンタなんかより 花火なんかより
日曜日の街に若い父母と一杯の子供達をつめて走っている
自動車の中や
暗い街を轟々と人々をつめて走って来る
明るい市内電車の中の方が
もっとずっと賑やかで
もっとずっと物悲しい
ご冥福をお祈りします。
2012-05-29 Tue 17:59 | 新刊本
2012-05-17 Thu
私がジャズを聴き始めたころ、この著者の出した「辛口!JAZZノート」は、とても楽しく読めました。それからあっという間に20年以上の年月が流れ、著者も70歳を超える年齢となっていました。
帯にもありますが、ジャズとオーディオ、哀愁と笑い、そして生きる活力を綴ったエッセイ集で、人間年を取っても悟りの境地にはなかなか至れないということをまざまざと教えてくれます。
2012-05-17 Thu 18:12 | 新刊本
2012-05-09 Wed
新潮社から出ていたものの新装版で、奥さんがセレクトしています。この本の佇まいが好かったので手にとってみました。気になった文から。
「私は、川端康成の自裁は、自分の鳥の目が弱ったのを知ったからだと思っている。たぶんあの人は、鏡の中に、いつの間にか暖かい色が宿っているのを見てしまったのだろう。」
「《夏》の明るさの背後に、いつも《死》の影を見ていたのは、三島由紀夫だった。」
こういうことは、文芸評論家は考えないでしょうね。
「年を重ねてここまでくると、目に入るものや、耳にするものが、だんだんぼやけ、曖昧になってきて、<死>と<詩>だけが、いやに鮮明に見えたり聞こえたりするようになる。こればかりは、若いころにはわからない。」
2012-05-09 Wed 18:57 | 新刊本
2012-05-07 Mon
雑誌連載時のタイトルは、「音楽の誘拐」でした。これは、「音楽」を、それが今置かれている、あるいはかつて置かれてきたぬくぬくした状況の中から拉致し去り、別のコンテクストやニュアンスで語らせようという意味を込めたものと著者は言っています。例えば、
「多くの聴衆が求めているのは、指揮者が大きな身振りで踊ってみせ、達者なオーケストラが大きな音やテンポの煽りで興奮させてくれるエンターティンメントであって、耳を凝らして聞き取るような繊細な美や、知的なおもしろさではない。」、「人生においては、邂逅の神秘を満喫し、だがそれは決して永続するものではないと肝に銘じるしかない。本当に貴重なものとは、失われたものなのだ。」、「今私の手元には、3万円ほどで購った80枚組のセットが転がっている。グールドが行った正規の録音のすべてが含まれているらしい。それはカラヤンがちょうど20年前、最後に日本で演奏したときのチケットの値段とほぼ同じなのだ、という事実は改めて驚いてもいいことなのかもしれない。」
しみますね。
2012-05-07 Mon 17:59 | 新刊本
2012-05-07 Mon
クラシックミュージックに限らず、至上の喜びを味わうには、しばしば艱難辛苦がつきまとうものです。しかも艱難辛苦の末に、目標に到達できないことだって多いわけです。
この本は、作曲家の病的な妄想に付き合え、知識がなくてわかるものか、このしつこさに辟易するなどと言いつつ、曲の聴きどころやポイントを照会していく立派な入門書となっています。
マーラーの交響曲第9番については、芸術にとって、実は個や人間は不要なのであり、芸術を断念することで人間は生き延びたと書かれています。
2012-05-07 Mon 17:56 | 新刊本
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