2013-06-24 Mon
井上は、1902年滋賀県近江八幡市で呉服屋の長男として生まれ、生涯衣服の行商を生業とした人でした。昭和20年に43歳で応召され、その年敗戦を迎え、ウラジオストックなどで約1年半、収容所で抑留生活を経験しています。このときセメント袋のはじをメモ帳にして、詩を書いては褌に秘し、帰国後「浦塩詩集」を刊行しています。
彼は昭和41年4月に交通事故で亡くなりますが、戦前モダニズム詩人として出発し、生涯詩作を続けました。「詩は私の宗教」というのをモットーにしていたそうです。
未発表遺稿から
偶
おもいだしたような営みだが
ときには女房が
曲がった腰をのばして
こえを上げることがある
私もついつりこまれて
老年を忘れたりするのだが
愛はさりげなく
そのぐるりをとり巻いていた
2013-06-24 Mon 19:36 | 新刊本
2013-06-07 Fri
これは、小山の第1小説集である「落穗拾ひ」と第3小説集である「犬の生活」の2冊を1冊にまとめたものです。「犬の生活」は1955年6月に筑摩書房から出ています。ちなみにこの年の11月に「落穗拾ひ・聖アンデルセン」が新潮文庫から出ています。
このころが、作家としてもっとも充実していました。
この中に「その人」という作品があります。これは、横領の罪で8ヶ月ほど服役していたときのことを書いた作品です。「その人」とは、看守のことです。服役者として、看守の一挙手一投足に微妙に揺れる心理状態が描かれています。その中の一文から。
「私は謝罪の心もなくて、『すみません。』と容易に云うことが出来る、そして面を拭っていられる、単純な奴にしか過ぎない。なんによらず、私は自分の過去のことで、なにが為になったなどとは云えもしない、云いたくもない。ただ、私のような者にも思い出がある。それだけだ。」
2013-06-07 Fri 18:17 | 新刊本
2013-05-28 Tue
この著者は、同じくみすず書房から「ふるほん行脚」という本を出していて、日本各地の古本屋や購入した古本について綴ったエッセイを出しています。
この本はその完結編ということですが、昨年12月にお亡くなりになられたようで、亡くなる直前までの原稿が収められています。
とても共感できる文章を紹介します。
「私は街を歩く。毎日のように。そして古本屋があれば覗いて見る。遠出をしたときや、旅先でも、古本屋を見つけるのが楽しい。どうせ廉価の本しか買わないのだが、活字に目をさらすと生きている気分になる。他人に無用な雑書でも、私には精神的な掘り出し物であったりもする。」
2013-05-28 Tue 19:48 | 新刊本
2013-05-27 Mon
「日常で歌うことが何よりもステキ」に続くエッセイ集です。あとがきから引用します。
本書の内容は、音楽とは何か、生きるとは何かをテーマにしたつもりなので、(この本のタイトルはー引用者注)なおさら落ち着かない。それとも本当のことというのは、誤解されるように出来ているのだから、これでいいのだろう。
言葉の使い方が間違っているかもしれない。しかし、読んでくださった方にはきっとわかっていただけるだろう。「いやらしさは美しさ」は願いであって、生きていく上でもっとも大切な力、生命力なのだ。
2013-05-27 Mon 20:45 | 新刊本
2013-05-21 Tue
これもいわゆる古本ものの1冊です。戦争が終わり、人や社会は、それまで押さえつけられていた本来の人間性を取り戻そうとしていました。そうした時代背景から、軟派系随筆が多数出版されていた時代がありました。今でも古書展や古本屋に行くと、結構置いてあります。それだけ数多く出回ったということでしょう。余り値の張るものはありません。この本はそうした本を書影とともに紹介したものです。
著者は、「戦後に、なんであんなオカシな、魅力的な人物たちが打ちそろって登場したのだろうという問いが、この本を書かせた気がする、要するに憧れた。」と書いています。
この本でも紹介されている高田保の「ブラリひょうたん」は持っているので、いつか読もうと思っています。
2013-05-21 Tue 19:32 | 新刊本
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