2011-11-26 Sat
長谷川氏は、今はなき小沢書店の創立者で、小沢書店の本は、今も人気があります。その長谷川氏が、地方紙に連載されていたものをまとめたものです。
「失われた記憶、時の巡りのなかに置き去りにされた言葉を発掘する、あるいはたんに私一個の想念の中で薄れていく言葉を思い起こす、そんな試みであり、生前に肉声を聞くことのできた作家や詩人の著作に見出したい」という思いで書かれた本です。
中で印象深かったのは、田村隆一について、「何ヶ月もの間、肉体の限界まで飲み続けては、2,3週間入院して、点滴暮らしとなるのだった。見舞いに行くと、ドライ状態の詩人は、人間嫌いの別人になっていた。」という一節です。
2011-11-26 Sat 09:00 | 古本
2011-11-25 Fri
16人の「考える人」が、どのように考えていたのかを語った本です。さて次の言葉は誰について語ったものでしょう。答えは本書で。
徹底的に危険を経験してみる、考えないことを考え続ける、考え方における論理性の追求、見ることすなわち考えること、型を持たない個性は、他の型に常に圧倒される、本質的なものにしか惹かれない心、読むことすなわち考えること、経験は、その本質上孤独な個人を作り出す、教養の懐の深さ、頭と体が結びついてこその知、歩くことがそのまま考えること、日本語と西洋語の正確な意味を押さえながら、自由に、そしてユーモラスに言葉をつむぎだしていく、経験知の達人、生理に根ざす気質によって考える人、考える人というよりは思う人、考えることに徹することによって、意味の入るすきのない完璧な瞬間をつくり上げる。
2011-11-25 Fri 17:40 | 古本
2011-10-27 Thu
少なからぬ費用と時間を費やして小説を読むわけですが、実は、小説とは何ぞや、一体何のために読むのかと改めて問われると、即答することはなかなか難しいものです。単なる暇つぶしと言うのもなんですし。
並み居る小説家の中でも、小説とはなんぞやという問題について意識的に文章を書いている小説家である高橋氏の小説教室です。私も250円を払って(すみません)受講してみました。
いわく「小説は書くものじぁない、つかまえるものだ」、「世界が全く違うように見えるまで、待つ」、「小説をつかまえるためには、こっちからも歩いていかなければならない。」、「小説を、あかんぼうがははおやのしゃべることばをまねするように、まねる」。
う〜ん。「知っている」ということと、「ほんとうに知っている」ということとはまるで違うのです。こういうことは、小説のことを「ほんとうに知っている」からこそ書けるんでしょうね。
2011-10-27 Thu 17:00 | 古本
2011-10-24 Mon
あのボン書店です。ボン書店出版の復刻版は何冊か持っているのですが、オリジナルのものは初めて入手しました。残念ながら箱なしでしたので、価格は求めやすかったです。某書店の目録で入手しました。
ボン書店については、ちくま文庫に「ボン書店の幻」という本があります。私もこの本で、ボン書店のことを知りました。この本の著者は、詩歌書専門の古書店である「石神井書林」の店主である内堀弘氏です。ほとんど資料のない中、よくぞここまで書き上げたものだと思いました。文字通り身を削るようにしてこのボン書店を経営していた鳥羽茂(いかしと読むとのことです。)の生涯については、涙を禁じえません。
2011-10-24 Mon 18:09 | 古本
2011-09-27 Tue
詩人の荒川さんは、これまで多くのエッセイや書評を書いており、たいていのものは読んでいますが、「詩」について語ったものは、それほど多くないと思います。事実、この本が出た時点(1988年12月)で、初めて純粋に詩論だけを集めた本とあります。
詩について書かれた本には、難しく書かれたものが多いのですが、その点、この本は比較的分かりやすいように書かれています。
「詩」とは何かについてですが、荒川さんは、「ことばになっているところより、ことばになっていないところ、つまり余白の部分にひろびろとした世界があることを表わすこと、ただそれを表わすのは有限のことばなのだ。コピーは、いかに詩的なものをかもし出したとしても、そこにはことばの限りを尽くすというこころざしがない、同時におもいの限りをそこで尽くそうというこころざしもない。」と書いています。
2011-09-27 Tue 17:40 | 古本
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