Renkei日記 - 八十島法律事務所

2012-03-30 Fri

秋山正美  「ロング・ロング・セラーズ」  (現代教養文庫)


 この本では、全部で37点の作品を取り上げていますが、その中で読んでいるものは、夢野久作の「ドグラマグラ」と吉川英治の「新書太閤記」だけでした。
 著者は、宣伝や販売戦略のうまさで、一時的にベストセラーになることはあっても、ロングセラーにならず、いつしか消える、ロングセラーは、純文学がどうの大衆文学がどうのというのではなく、一つの社会現象としてとらえるべきだと述べています。
 それはそのとおりだと思うのですが、取り上げた本がロングセラーというには結構怪しいものが相当含まれています。例えば、沢田謙の「ムッソリーニ伝」、「ヒットラー伝」とか、ヒトラーの「わが闘争」とか、あるいは「新訂尋常小学唱歌」とか、「模範新大東京全図」といったものも含まれています。また、豊田正子の「粘土のお面」って?

2012-03-30 Fri 18:22 | 古本

2012-03-20 Tue

吉本隆明詩集   (書肆ユリイカ)


 3月16日にお亡くなりになりました。私が大学に入学した当時は、すでに学生運動は表舞台からはなくなっていて、いわばしらけた時代であり、やがてバブルに向かおうとしていた時代でした。そんな時代に、吉本氏の「共同幻想論」や「擬制の終焉」を読むことにどんな意味があったのか分かりませんが、なんとなく読んでいました。そこに書かれていたことは、既成の価値や権威は疑うべしといったところでしょうか。程なく、吉本氏は、詩人として出発していたことを知りました。その一つを引用します
  ぼくは死に ぼくの優しさがそれをかんがえている
  とぢられたぼくの眼は永遠を約束されないけれど
  むすうの星がぼくの精神のいないあいだに生まれ
  ぼくのいないあいだに薄れる
  それだけがぼくの夕べと夜との説話だ
  ゆるされた明るい可能だ
                         「一九五二年五月の悲歌」より

2012-03-20 Tue 12:48 | 古本

2012-03-08 Thu

高橋源一郎 「タカハシさんの生活と意見」 (東京書籍)


 タカハシさんは、「吾輩」という名の猫と哲学を語り、文学の没落を語る。
 作家は「描写」ができなくなった、「描写」に値するものがなくなってしまったと論じ、寺山修司は、国木田独歩のリメイクであると断じる。そして、国木田独歩は、風景描写を釣ったつもりで、実は近代文学そのものを釣ったと言います。
 さて、近代文学そのものとは何でしょう。答えは、「内面」でした。
 日本文学は「散歩」とともに発達し、都市を「散歩」することによって現代文学が生まれたのでした。今も「散歩」によって何か生み出されているのでしょうか。

2012-03-08 Thu 18:00 | 古本

2012-02-23 Thu

吉行淳之介 「詩とダダと私と」  (福武文庫)


 吉行が、20歳から22歳のころ、終戦前後の時期に書いていた詩や、詩にまつわるエッセイ、亡父吉行エイスケのこと、吉行エイスケの詩などからなる本です。吉行と父エイスケの詩を比べてみましょう。 
 吉行 <盛夏> 1945・8・6
   白い蝶は舞い上がり 絵画館の円屋根から
   蒼穹の青に紛れようとすれば
   そも蝶々なんぞあんなに高く飛んでいいものだろうか
   木陰の午睡に呆けた独りごと
 エイスケ <なだかな夜>  
   雨も散らないにあまだれが  ぽてりぽてりと胸になく
   今酔いさめて空見上ぐれば  まばらな木の葉をこして月が座ってる
   一人なだかなこの夜をば   
   雨も散らないにあまだれが  ぽてりぽてりと胸になく
ちなみにエイスケの詩は、一番ダダっぽくない詩を選んでいます。

2012-02-23 Thu 19:14 | 古本

2012-02-13 Mon

紀田順一郎  「日記の虚実」  (ちくま文庫)


日記は、自己と正面から向きあい対峙する手段ではなく、むしろ“もう一人の自己”をつくりあげることによって生の不安を軽減し、慰藉をもたらすための道具にすぎない。
 このような二元的な意識の背景として見え隠れしているのは、私たちの意識を育む社会そのものに内包されている二元性―例えばタテマエとホンネ―であることはいうまでもない。
 なるほどねー

2012-02-13 Mon 19:02 | 古本

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