2014-07-17 Thu
元本は平成8年11月に出ています。著者は、サンデー毎日の記者として、生前の三島に会っており、1970年11月25日の事件当日、三島から檄文を預かり、「何卒、ノー・カットで御発表いただきたく」との手紙を受け取った人物でした。この本は、三島の死から25年の歳月を経て、彼との交流について書かれたものです。著者は、三島について、こう書いています。
長いこと新聞記者をし、数え切れない人にインタビューをする間に、何十人もの「面白い人」に会った。しかし、私は努めて自分の感動を殺した。なるたけ批判精神を養って「面白い人」と距離を置き、面白さの裏を読み、騙されまいぞと努力した。だが、そう意識的に努めてさえ抵抗しがたい「面白い人」はいるもので、三島由紀夫さんはその一人だった。
2014-07-17 Thu 18:14 | 古本
2014-07-01 Tue
これも随筆集ですが、友人の富士正晴について書いたものの最後に、「無言」というタイトルの短い詩を掲げています。
お前がころっと逝ってしもうて
秋風が吹いてきたいうのに
まだ
うちの貧相な藪蚊が刺しよる。
じゅつないこっちや。
な、
富士よ。
この本を出した当時、天野は、83歳でした。
2014-07-01 Tue 17:50 | 古本
2014-07-01 Tue
詩人天野の随筆集です。天野の随筆は老いをテーマにしたものが多いのですが、これなどもそうです。
知人の葬式で、四十何年ぶりで、昔のアイドルに会ったことについて、「ときどき私は、この四十何年ぶりの出会いを目の前に浮かべる。けれども私の前に現れるのは、(略)そのへんの景色まで、いっときにパッと明るくなるような、痛いまでの青春の輝きに溢れた美しいNさんというアイドルである。死者の顔がときとして、はっきり心の中心に生きかえるように、長い重たい時間の複雑な網の目を、一瞬のうちにくぐり抜けて、目の前に出現する『死んだ記憶』もある。
どちらを真実と見るかは、私に残されたせめてもの自由である。」
2014-07-01 Tue 17:45 | 古本
2014-07-01 Tue
天野が67歳のときの詩集です。
「唄」から
老人にはなるな
老人になるまでに死ね
あとで
うっとりするほど
それが倖せだったと
見事な倖せだったと判る
2014-07-01 Tue 17:28 | 古本
2014-06-30 Mon
深沢七郎との20年に及ぶ交情を赤裸々に綴ったもので、深沢との出会いから、死までが書かれています。
深沢は、故郷である山梨県石和の桃山を自慢にしていて、生前武田泰淳や井伏鱒二を案内して、桃林の中でギターを弾いたことが、記憶に深く染み付いていて、その話を嵐山に何度もしていました。そして、埼玉県菖蒲町でラブミー農場と称して自給自足の生活を送っていました。そんなところから、このタイトルにしたのでしょう。
嵐山は、「深沢は、世間では、人間嫌いのヘンクツ者とみられ、また、そう思われても仕方がない言動をしてきた人ですが、そのじつ、心やさしく、淋しがり屋で、遊びに行った人が帰るのがいやで、泊まっていけ、泊まっていけとすすめました。」と書いています。
こうしためんどくさい人は、また人をひきつける魅力も持っていたのでしょう。
2014-06-30 Mon 17:33 | 古本
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