2014-02-05 Wed
惜しくも2009年5月2日に亡くなった清志郎の作品です。内容は、一応双六問屋から来た男が、自由に語りつくすという体裁をとっています。
町田康は、解説で、次のように言っています。
「よく、筋道の通ったこと、などというが誰もが簡単に納得する筋道など嘘に決まっていて、しかし人は筋道がないと不安なのでなんとなくそういうものがあることにしようとしているが、どうです?この文章。まるで歌じゃないですか。歌が、音楽が文章という形を取ればこうした明らかな筋道がないにもかかわらず、人の心に響く形になると私はいっているのです。」
たとえばこんな具合です。
昔のことなら笑いながら話せる。だって本当に楽しいことばかりだったから。
未来のことなら笑いながら話せる。だって夢のようなことを実現できると思うから。
でも今の気持ちを聞かれたら、僕はつまらないことしか言えない。
腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしているのさ。
名著だと思います。
2014-02-05 Wed 18:05 | 古本
2014-02-04 Tue
この小説は、連合赤軍事件をモデルにし、その関係者の家族が崩壊していくさまを描いたものです。
女の業というものを描いてきた円地には珍しい、社会的なテーマを扱ったものということができましょう。
作品の中で、主人公は次のようなことを言っています。
「食卓の団欒が一番幸福だなんて家は、今の日本では珍しいですよ。皆、外では口を拭っているけれども、幸福な家庭は一様に幸福であるが、不幸な家庭はさまざまに不幸であるというトルストイの名文句はもう19世紀的ですよ。極楽みたいな家庭なんて、現代にはありませんよ。」
と、きわめてクールなことを言わせているのですが、最後は、血のつながりに希望を持たせた終わり方にしています。
2014-02-04 Tue 17:30 | 古本
2014-02-04 Tue
ホフマンは、1776年に生まれ、46歳で亡くなっています。現在は幻想作家と言うことで評価も定まっていますが、生前は、裁判官をやりながら、売れない小説を書いていたということのようです。ちなみに、バレエの定番「くるみ割り人形」は、彼が書いた童話が原作になっているようです。
この短編集は、池内氏が自ら選んだ「クレスペル顧問官」「G町のジェスイット教会」「ファールンの鉱山」「砂男」「廃屋」「隅の窓」からなっており、翻訳もしています。
中でも「砂男」はもっとも有名な作品で、望遠鏡、鏡、自動人形といったものが重要な小道具として使われています。
2014-02-04 Tue 17:11 | 古本
2014-02-01 Sat
著者は、あとがきで、「初めは自分の心の底にある虚栄や見え、気取りや愚かさをさらけ出すことで己を見つめ直すつもりだったのが、書き終わってみると、ぼくが生まれてからこれまで、ぼくの人生を豊かに形づくってくれたたくさんの人々の善意に気づく旅になっていた。」と書いています。
講演で人生とは何かといった話をしていると書いて、著者が高校生のときに父親から言われたことを書いています。
夕食時に、何かの折に、「地球は丸い」と言ったところ、父親は、「高校へ行ったぐらいで、いいかげんなことを言うもんでない。」と言ったそうです。そこで著者が「本当なんだ。」と声を高めたところ、父親は、「お前見たのか。」と言ったそうです。このエピソードを紹介したあと、著者は、自分の講演を父親が聞いたら、「おまえ、人生を見たのか。」と鼻で笑われそうで顔が熱くなる。父は、こうしてときおりぼくの中に現われては、ぼくの不遜になりかかる心を戒めてくれているのだろうと書いています。
2014-02-01 Sat 18:03 | 古本
2014-02-01 Sat
これは、昭和17年8月13日ビルマの野戦病院で病死したとされる森川義信について、友人であった鮎川が書き記したものです。鮎川はこう書いています。
「昔、彼と一緒に歩いた夜の街をぶらつき、足下から始まる距離をたぐるようにして、いつまでも醒めない私たちの夢の歴史の根源まで遡ってみたいものだと考えた。(略)失われた街をさまよってみたが、私以外の誰も見ることのできない幻に出遭っただけであった。(略)森川のいない街はつまらない。それがこの旅の唯一のテーマであったと思う。」
亡き森川の評伝を書ききるには、鮎川はあまりにも森川と親し過ぎたのだと
思います。
2014-02-01 Sat 17:52 | 古本
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