Renkei日記 - 八十島法律事務所

2013-03-26 Tue

山田稔 「特別な一日」 (朝日新聞社) 1986年9月30日刊


 この本は、平凡社ライブラリーからも出ているようですが、こちらが元本ということになります。カバーの挿画は松本俊介の「街の人々」(1940年作)です。
 著者は、夜中にふと眼を覚まし、布団のなかで、幼いころから家にあった、なんでもない本を通じ幼い日の自分や母親を思い出します。
 最後の文章がこれです。
  「さきほどから、自分の顔が暗がりの中でずっと笑いをうかべていたような気がしてきた。さあ、今夜はもうこれでおしまい。何も考えず、もういちど眠りに入ること。−寝返りを打とうと枕の上で頭をうごかす。すると目尻からひとすじ、ただ水のような涙がつうとこめかみを流れ落ちるのがわかった。朝はまだ遠かった。」

2013-03-26 Tue 21:35 | 古本

2013-03-25 Mon

富士正晴 「軽みの死者」 (編集工房ノア) 1985年3月30日刊


 昭和23年の秋ころに、富士は、吉川幸次郎から、「わしは儒者やから死後の世界というものはない筈なのだ。ところが、わしが死んで見ると、その死後の世界があったということ。」を小説に書いてほしいと頼まれます。そして書かれたのが、この本の冒頭に収められている「游魂」という小説です。富士は、吉川をモデルとした死霊にこんなことを言わせています。
 「生きた人間の一生はなんと短いのだろう。だが、それは何と豊富なのだろう。輝くように眩しく思われるその短い時間を思う時、死霊の持つ無限時間というものは遂に生き身の人間の有限時間以上に有限のものとさえ思われてくるのだった。」
 また、別の作品では、こんなことを書いています。
 「私は大分前から死ぬのに決まっている病人の見舞には出かけない。いささか残酷といわれそうだが、平和でもこの世は戦場であるという気がしていると、行く気にはなれない。今度いつ逢えるかなあではなく、又、逢えるかなあとしかいえぬ戦時のこと戦時の境遇を思い出すと、今の若いテレビ育ちの人間のように甘い気分にはなれない気がして。」
 

2013-03-25 Mon 21:31 | 古本

2013-03-18 Mon

須賀章雅「貧乏暇ありー札幌古本屋日記」(論創社)2012年12月30日刊


 著者は、札幌で、現在はネット売り中心で古本屋を経営している方で、日々の厳しい現実をやや自虐的に書いているものです。とくに奥さんとのやりとりが秀逸だと思いました。
 例えば、「深夜、妻の助けを借りて寝室の詩集類を片付ける。まとめて置けるスペースはすでにないので、家のあちらこちらに分散して少しずつ積み上げる。が、なかなか作業捗らず、『少なくとも置き場所考えて買えよな。高い金出して、重たい思いして、ホコリだらけになって、疲れてさ、そうまでして買わなきゃいけないもんかね。詩集って。』などという不平不満も聞かれ、だんだんと家の中の空気も険悪となり、殺意にまた火がつきそうな気配が漂う。」とか、「『風邪ひいたみたい。もしかして、無頼派気取ってんの?泥酔して、女房を夜中に冬の路上に引っぱり出して、風邪ひかせて、私小説のネタにでもするつもりなの?古本無頼派になんの?』と妻になじられ『いや、そんなつもりはありませんです。すみませんでした。』と頭を下げておく。うーむ、しかし、古本無頼派って、これはなかなかいいかもしれない、またの呼称は二十一世紀プロレタリア詩人。なーんてな。ああ、この馬鹿をいつまで続けられることか。」

2013-03-18 Mon 22:53 | 新刊本

2013-03-18 Mon

山本善行「定本古本泣き笑い日記」 (みずのわ出版)2012年12月25日刊


 青弓舎から2002年9月22日に出た「古本泣き笑い日記」にその後に書かれたものを加えて定本としたものです。
 著者は現在は善行堂という屋号で、古本屋をやっていますが、当時は学習塾をやっていて、仕事の合間を縫って毎日のように古本屋巡りをし、その戦果が書かれています。
 それにしても、本当かと思われるような値段で購入しています。例えば、
 小山清の旺文社文庫の「落穂拾い・雪の宿」50円(私はこれを1500円で購入しています。)、上林暁の現代教養文庫の「武蔵野」も50円(1000円)、同じく上林暁の桃蹊書房の「悲歌」が函ありで100円(私は、函なしで3500円)、光文社の伊藤整詩集が署名ありで300円(私も署名はありますが6000円)、日本評論社の幸田露伴の「幻談」を2冊500円のうちの1冊として購入(値段は忘れましたが、そんなに安くはなかったかと)
 泣きながら読み終えました。

2013-03-18 Mon 21:45 | 新刊本

2013-03-08 Fri

清水昶 「詩は望郷する」 (小沢書店) 昭和60年8月20日刊


現代において詩を作るとはどういうことかとか、石原吉郎や辻征夫、北村太郎、黒田喜夫といった詩人たちについて書かれたエッセイ、評論集です。
 なかで、詩人天野忠と作家三島由紀夫を対比して、次のように分析しています。
 人間皆平等という発想はニヒリズムなのである。自分と他人との間を区別する個人性を喪失させてしまうからだ。天野忠は、そういう世界こそが人間を支えるものであり人間ひとりひとりが意味を持って生きているとかんがえること自体、傲慢すぎると思っている。
 逆に三島由紀夫は人間ひとりひとりに意味があるからこそ、自分の個人性を中心にしても世界は動かせるとかんがえていた。
 しかし現実には生理としての老いがあり死がある。三島は命という自然に絶望したのだ。
 天野忠も、同じく絶望している。両者はただ生の見方がみごとに正反対なのである。
 また石川啄木についてはこんなことを言っています。
 現在啄木について語ることは憂鬱である。とくに「時代閉塞の現状」について語ることは。何回も読みなおしたけれど、読みなおす度に、何だ、これは、いまの時代と同じではないかといったしらじらしい思いに駈られるからである。

2013-03-08 Fri 21:26 | 古本

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